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2015年06月18日

旅のその後Paris。

旅の最終目的地、ドイツのデュッセルドルフへの乗り換えでロンドンからパリへ。前に行きそびれていた「コンスタンティン・ブランクーシ」のアトリエへ行きたかったので一日だけ滞在することに。自転車を借りてブランクーシまでの道のりをパリ散歩。

旅のその後Paris。

宿泊先の15区辺りから、まずはルイ・ヴィトン美術館[Louis Vuitton Foundation]を目指します。

旅のその後Paris。

旅のその後Paris。

旅のその後Paris。

ブローニュの森を抜けて

旅のその後Paris。

ブローニュの森の北にある19世紀半ばに出来たパリ初の遊園地アクリマタシオン庭園の一角にすごーい建築が見えてきました!2014年秋にオープンしたフランク・ゲーリー設計のルイ・ヴィトン美術館[フォンダシオン・ルイ・ヴィトン]。

旅のその後Paris。

旅のその後Paris。

旅のその後Paris。

旅のその後Paris。

僕たちが行った時の企画展は、20世紀の巨匠の作品を集めた「les clés d'une passion 」。ポスターにもなっていたアンリ・マティスのダンスや教科書で見たことある「ムンクの叫び」など。

旅のその後Paris。

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旅のその後Paris。

旅のその後Paris。

旅のその後Paris。

旅のその後Paris。

ヨットの帆からインスパイアされたというファザードは3600枚のガラス(ガラス屋根の総面積13,500㎡!)を使用して建物が12枚のベールで構成されており、「ガラスの雲」とも呼ばれているそうです。独創的で斬新な建築ですが緑の森に浮かぶ船のように自然の環境に溶け込んでいました。

旅のその後Paris。

そして彫刻家ブランクーシのアトリエへ。ポンピドゥー・センターの入り口近くにある、[アトリエ・ブランクーシ]は当時の15区のブランクーシのアトリエを再現した展示室でひっそりとした倉庫のような建物。彩色されたむき出しのパイプとガラス面で構成されたポンピドゥー・センターとこのアトリエはどちらの建物もレンゾ・ピアノによる設計ですが、全く違う雰囲気でした。

旅のその後Paris。

たくさんの光が差しこむ静かな空間。道具ひとつひとつとっても、興味深い作業場。

旅のその後Paris。

旅のその後Paris。

居心地が良すぎて、何時間もいたような。

旅のその後Paris。

ケンブリッジのケトルズヤードではブランクーシの彫刻が生活の中にとけこむように展示され、目の前で作品を見ることが出来ましたが、こちらはガラス張りの展示室で作品を間近で見ることはできません。ちょっと残念。でも当時のアトリエが再現されている空間はとても良く、何度も来てぼーと過ごしたいブランクーシのアトリエでした。

旅のその後Paris。

コンスタンティン・ブランクーシ(Constantin Brâncuşi, 1876年2月19日 - 1957年3月16日)は、ルーマニア出身の20世紀を代表する独創的な彫刻家である。20世紀の抽象彫刻に決定的な影響を与え、ミニマル・アートの先駆的作品も残した。非常に要素を切り詰めた一見してミニマルな作風を持つ。また、彫刻などが置かれる台座も作品として一緒に制作する。 ブランクーシの作品は抽象化が進み、代表作である『新生児』や『空間の鳥』では、幼児の頭部や飛ぼうとする鳥がほとんど単純な卵形やプロペラ型の形態にまで至っている。ただし彼の作品は、描写の対象物の本質を捉え、それを効果的に単純な形態に写すものであり、対象物の形態から完全に離れてしまうものではない。
このような単純化のため、1926年に作品販売のため『空間の鳥』をアメリカ合衆国に輸出した際、税関で美術品とみなされずに工業製品とみなされてしまい高い関税を課せられてしまったため、購入者と税関が裁判で争い、購入者が最終的に勝訴する事件が起こっている。
ブランクーシの独創的な作品は、後の現代彫刻、絵画、デザインなどへ、多大なる影響を与えた。特に代表作でもある『無限柱』シリーズは、単純なユニットの反復により構成され、本人が友人のマン・レイに語ったところでは、どこで切断しても無限の柱としての特性を失わないものとされる。この思想はカール・アンドレなどのミニマル・アートへ強い影響を与えた。
ブランクーシは朴訥な人柄で様々なアーティストから慕われ、マルセル・デュシャンやマン・レイとも親交があった。デュシャンは、ニューヨークでブランクーシの作品を売買することで生活していた時期もあった。マン・レイから写真術を教わったブランクーシは自分のアトリエ内に暗室をつくり、自らの作品を写真に記録することに熱中したこともあった。またイサム・ノグチはパリでブランクーシの助手となることで抽象彫刻家としてのキャリアに方向性を見出した。
著名な言葉で、”create like god, command like king, work like slave”「神のように創造し、王のように指揮を執り、奴隷のように働け」を残している。
1991年から1994年まで発行された500レイ紙幣に肖像が使用されていた。wikiより。

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アトリエブランクーシを後に、ちょっとブラブラ。

旅のその後Paris。

すごい!おりこうなかわいい子たちがたくさんやって来た!

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わっと思いましたが、3頭引き連れている姿はそういえばうちもあんまり変わらないかも(笑)。それにしてもおりこうさん。

旅のその後Paris。

ディスプレイが楽しみなmerciもチェックして。

旅のその後Paris。

旅のその後Paris。

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旅のその後Paris。

旅のその後Paris。

旅のその後Paris。

小さなアトリエなどを覗きながら。

旅のその後Paris。

雰囲気のある高架鉄道の廃線はなんでも散歩道になっていたようで、次回はのんびり歩いてみたいなあと思いながら、そんなこんなで一日限りのパリ散歩はあっという間に終わってしまいました。行きたかったバスク料理のお店が閉店してしまっていたのは寂しかったけど、とても親切で愛想良い近くのパン屋さんで出来たてほくほくのパンを買い込みパリの夜は更けていきました。






HADANAへようこそ。
旅のしめくくり、デュッセルドルフへつづく





 



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Posted by HADANA at 22:10 │